〔御祭神〕
健御雷命(たけみかずちのみこと)
伊波比主命(いわいぬしのみこと)
天津児屋根命(あまこやねのみこと)
比売命(ひめのみこと)
創建は、平安時代の807年(大同二年)と伝えられています。
鎌倉時代に庄内地方を支配した武藤氏の信仰が篤く、社殿の造営、土地や祭具などを寄進した事が古い記録や遺物が残っています。戦国時代には、武藤氏を配下にした上杉景勝は当社の本殿・拝殿を再興しました。 1602年(慶長七年)に庄内を統治した最上義光より社領地を定めた黒印状が発行されました。江戸時代の1613年(元和八年)から庄内藩主となった酒井家は、社領を認め社殿の造営を行い、当社の神事能を藩の式楽として城中でも能が催されました。 1727年には「黒川四所大明神」と神名を変更。 1739年(元文四年)には拝殿が造営されるなど、歴代の領主から庇護を受け、てきました。
明治時代から「春日神社」に社名を変更され今に至っております